東京高等裁判所 昭和32年(ネ)2150号 判決 1959年6月26日
事実
控訴人(一審原告、敗訴)新関直二は、被控訴人竹下科学興業株式会社が昭和二十九年六月十六日訴外梅屋炭鉱株式会社に宛て振り出した額面金五十万二千六百円の約束手形の所持人(右梅屋炭鉱株式会社は訴外梅沢長之助に、右梅沢は控訴人に、控訴人は訴外株式会社東京相互銀行立川支店にそれぞれ裏書譲渡したが、満期に本件手形の支払を拒絶されたので、控訴人は右東京相互銀行に手形金を支払つて戻裏書を受けてその所持人となつた。)であるが、その後控訴人は本件手形の裏書人である訴外梅沢長之助より金二十万二千六百円の償還を受けたので、これを控除した手形残金三十万円及びこれに対する完済に至るまでの利息金の支払を振出人たる被控訴会社に対して請求した。
被控訴人竹下科学興業株式会社は抗弁として、控訴人は訴外梅沢長之助、同伊藤孝太郎と共同して同人等の経営する金融ブローカー赤阪産業株式会社において、低利の金融を斡旋すると甘言を以つて被控訴会社を欺罔して本件手形を振り出させ、被控訴会社よりこれを騙取したので、被控訴会社としては訴外梅沢長之助に対し本件手形の返還を請求していたところである。よつて悪意の所持人である控訴人の請求は失当である、と主張して争つた。
理由
証拠を綜合すると、次の事実を認めることができる。すなわち、(一)昭和二十九年六月頃当時被控訴会社の代表取締役であつた竹下義彦は同会社の資金の金繰に苦慮していた折柄、偶々その頃知り合つた訴外梅沢長之助及び伊藤孝太郎の勧誘により会社振出の手形の割引斡旋方を同人等に依頼し、右梅沢のいうとおり同人が代表者として経営しているという梅屋炭鉱株式会社(事実は未だ設立登記されていなかつた)宛の本件約束手形を右梅沢長之助に交付したが、その際右梅沢等からは銀行等で割り引いて貰うためには商業手形の形式にしないと工合がわるいといわれたので、右竹下もこれを諒承していた。(二)右梅沢は同年六月下旬頃知合の控訴人に対し本件手形は梅屋炭鉱株式会社(以下梅屋炭鉱と略称)が被控訴会社に対する石炭代金の支払として受領したものであるといつて自ら該手形に裏書署名し、その割引斡旋方を申し入れたので、控訴人は右梅沢のため知合の東京相互銀行立川支店長であつた副島一臣を紹介した。(三)そこで右東京相互銀行においても本件手形の振出人である被控訴会社の信用調査その他本件手形がいわゆる商業手形であるかどうかを確かめる必要があつたところから、某日控訴人も立合い右支店長副島一臣、梅沢の使者であるという伊藤孝太郎、並びに竹下義彦の四名が会合したが、その際右竹下は本件約束手形は被控訴会社が梅屋炭鉱から買つた石炭代金の支払として振り出したもので、間違なく支払う旨確言し、その反面被控訴会社自身がこの手形によつて割引金融を受けるものであるとの真相を明らかにしなかつたため、事情を知らない右副島や控訴人は右竹下の言を信じ、なおその後更に被控訴会社から右手形が石炭代金の支払のため振り出されたものである旨の証明書の差入があつたので、同年七月十日頃東京相互銀行においては当時の所持人梅沢長之助に対し該手形を割り引くことになつたが、控訴人も右銀行の求めにより保証の意味で右梅沢から右手形の裏書譲渡を受けた上更に右手形に裏書署名し、これを同相互銀行に交付した。(四)そして、右相互銀行は右梅沢に割引手数料を差し引いた金額を交付すると共に、更に右金員のうちから金二十万円を梅沢の同銀行に対する預金に振替えさせ別途積立預金をもなさしめた。右のように東京相互銀行としては梅沢長之助のために本件手形を割り引き、割引金も同人に交付済のところ、本件手形を満期に呈示したけれどもその支払がなかつたので、前示裏書人たる梅沢に対する遡及権を行使した結果、先ず梅沢の預金等二十万二千六百円を以て右手形金償還の一部弁済に充て、残額三十万円については同年九月末控訴人からその償還を得て本件手形を控訴人に戻裏書の方法により返還した。(五)一方梅沢は前記のように割引金を入手しながら、当初の約旨に反して全然これを被控訴会社に交付せず遂に行方をくらましてしまつた。
以上のとおり認められるところ、右認定にもあるとおり、控訴人の直接の前者たる裏書人訴外梅沢長之助は振出人たる被控訴会社に対し本件手形を割り引いてやると申し向けてこれを入手したものであるに拘らず、約旨に反し、前示割引金を全然被控訴会社に交付しなかつたものであり、この事実からすると右梅沢は当初から割引名義の下に被控訴会社から本件手形を詐取したものではないかと推認できないでもないが、控訴人ないし東京相互銀行においてはこのような事実を知らずに善意で右手形を取得した関係にあることが明らかであるから、被控訴会社としては右梅沢に対しては格別、その後者として本件手形を取得した控訴人ないし東京相互銀行に対しては、右抗弁を以て対抗し得ない筋合である。
尤も、竹下義彦の証言によれば、同人が訴外梅沢や伊藤等の勧誘により本件手形の割引方を依頼するに当り、訴外赤阪産業株式会社の事務所で、同会社を経営しているという同人等に面接し、また本件手形の割引斡旋に当つた控訴人も同会社に関係があるように聞知していたことから、控訴人も梅沢、伊藤同様前示事情を知り、或いは三者通謀して本件手形を詐取したように考えていたことはこれを諒するに難くないけれども、控訴本人の供述によれば、控訴人はその息子が訴外赤阪産業株式会社に勤めているというだけで別に同会社の役員をしているわけでなく、ただ同会社の代表取締役とかねての知合である一方、梅沢、伊藤等も取引の関係で同会社に出入していたに過ぎず、右竹下の供述するように、赤阪産業株式会社が右三者共同経営の金融ブローカーを営む会社でもない事実を窺知できるから、竹下が控訴人も梅沢や伊藤等と同類のように考えていたことは聊か思い過しであるというほかはない。